フィリピン留学 番外編コラム 〜フィリピンの歴史〜
フィリピン留学専門エージェントの現地駐在スタッフが
皆さんにフィリピンについて少しでも知ってもらおうと、
フィリピンに関するお話を全3回に分けてさせていただきます^^
第1回目の今回はフィリピンの歴史についてです。
太平洋戦争とフィリピンは、切っても離せない関係があるのを皆さんはご存知ですか?
フィリピンに興味関心をお持ちの方の助けに少しでもなれば光栄です。
ぜひお付き合いください。
フィリピン 天皇陛下訪問と太平洋戦争
2016年、今年は日本とフィリピンの国交正常化60周年の年です。
また、昨日1月26日から日本の天皇陛下が親善訪問で、フィリピンにいらっしゃっています。
天皇陛下のフィリピン訪問は、実に昭和37年以来54年ぶりだそうで、
今回の目的の一つに太平洋戦争の犠牲者の慰霊・追悼があるとのことでした。
おそらくこのサイトをご覧いただいている方というのは、
ほとんどが若い世代の方ではないでしょうか。
高校生、大学生から30代ぐらいの方が大部分なのではないかと思います。
「天皇陛下がフィリピンに、太平洋戦争犠牲者の慰霊?
太平洋戦争とフィリピンって何か関係あったっけ?」
こんな風に疑問を持った方も少なくないのではないでしょうか。
学校の歴史の授業で習った気もするけど、普段フィリピンに興味を持っていなければ、
具体的に何が起こったかをしっかり把握している方はそんなにいないでしょう。
しかし端的に言えば、関係大アリでなんです!
フィリピンは太平洋戦争における日米戦の最大の戦場でした。
フィリピンという国は、激動の時代をどのように流れてきたのでしょうか。
フィリピン 太平洋戦争以前の歴史
フィリピンは約7000という多数の島から成る国なのですが、
旧石器時代にはアジア大陸の一部でした。
後に大陸から分離し、マレー民族が定住して現在のフィリピン人の祖となりました。
大航海時代である1521年にポルトガル人のマゼランがセブに上陸し、
そこからスペインによる支配が始まりました。
この時、フィリピン人はスペイン語を教育され、
現在でも日常単語としてスペイン語単語が使われています。
私が初めてフィリピンに来てフィリピン人の英語を聞いた時に、
少しスペイン語のようなアクセントを感じたのはこのためでしょう。
ちなみにフィリピンという国名は、
スペインのフェリペ2世にちなんで名付けられたものなのです。
1898に米西戦争でスペインがアメリカに敗北しフィリピンは独立を宣言するのですが、
アメリカはフィリピンの統治権を奪い、
米比戦争の末にフィリピンを植民地として支配することとなります。
現地のフィリピン人は猛烈に抵抗したのですが、
アメリカはこれを武力で制圧、数十万人規模の虐殺を行いました。
しかしアメリカはスペインとは違い現地のインフラ整備を行い、経済も立て直し、
きちんとした教育も施し、さらにはフィリピンの将来的な独立も認めたのです。
フィリピン人はアメリカ人に少しずつ心を許し、独立に向けて歩み始めていました。
そんな中、太平洋戦争は勃発しました。
日本軍はアメリカが統治するフィリピンに侵攻、占領したのです。
フィリピン 太平洋戦争
当時アメリカ軍にはアメリカ人兵士とフィリピン人兵士がいましたが、
フィリピン人兵士は日本の占領後にゲリラ化、
一般市民に紛れて日本軍を襲うようになっていたため、
日本軍は誰が一般市民で誰がゲリラ兵なのかを見極めることが難しくなっていました。
これにより、一般市民たちの犠牲を出すことになります。
日本軍の侵攻により国外に撤退していたアメリカ軍は
武器や資金面でフィリピンを支援し、抗争はますます激化。
戦いが続けば続くほど、激しくなれば激しくなるほどに
一般市民の犠牲も増え続けていきました。
日本軍がフィリピンを制圧すると、
アメリカ軍を率いていたマッカーサーは7万人もの部下を置いてオーストラリアへ逃亡。
残されたアメリカ兵(アメリカ人兵士・フィリピン人兵士)は日本軍の捕虜となりました。
日本軍は捕虜を移動させようとしますが、いかんせん人数が多い。
輸送することが不可能なので40kmの距離を徒歩で向かうことになり、
その道中、疫病や疲労で実に約1万5千人が死亡。
その後、この出来事は日本人の残虐性の誇大宣伝に利用され、
日本軍による捕虜の虐待であったことにされています。
戦争が激化していく中で、日本軍はフィリピンの独立を認めることで
フィリピンを手なずけようとするのですが、もともとインフラ整備や教育を
アメリカに恵んでもらっていたので心はすっかりアメリカとともにあるフィリピンは、
敵対国である日本に反発し、日本の思惑通りにはいきませんでした。
フィリピン マニラ虐殺
歴史の教科書にも登場し、おそらく有名なのが「マニラ虐殺」です。
太平洋戦争終盤、連合国軍が太平洋戦争に介入、
日本軍はかなりの劣勢に立たされていました。
戦線もマニラにまで後退。
ここで日本軍は連合国軍との戦いだけではなく、日本軍に恨みを持つ
一般市民からも攻撃を受けることになります。
さらにゲリラまでいるとなると、日本軍はもう自分たち日本軍以外は敵です。
もう一般市民もゲリラ兵も関係なく虐殺し始めました。
これが日本軍によるマニラ市民の虐殺として記録されているのです。
また、その後アメリカ軍は空爆や艦隊による砲撃により、
フィリピン人もろとも日本軍を一掃。
正直なところ日本軍が地上で殺害した人数よりも、
アメリカ軍による攻撃で殺された人数の方が
多いのではないかとも言われていますが、
実際のところ、その内訳は分かっておらず、
終戦後、「日本軍による戦争犯罪」と
一言で片付けられてしまい歴史に残っています。
フィリピン 独立 日本が負う責任
そして1945年に日本が太平洋戦争に敗北したことで、
フィリピンはまたアメリカの植民地に戻り、
翌1946年にアメリカから独立、フィリピン共和国が樹立されました。
こういった歴史を見ると、日本とアメリカはこのフィリピンという国に対して
本当に大きな責任を負わなければいけないということがわかります。
日本の天皇陛下が慰霊にフィリピンを訪問なさったのは、
このような背景があるからなんですね。
フィリピン現地のネットユーザーの間でも天皇陛下ご訪問は
かなり歓迎されているようで、好評価を得ているみたいです。
でもここで疑問なのは、
このような歴史があったのだから当然フィリピン人は
日本を恨んでいるのではないか?
ということ。
フィリピン 日本との関係性
答えはNoです。
多くのフィリピン人は日本に対して、非常に好意を持ってくれています。
フィリピン人の知人に、フィリピン人は日本についてどういった感情を
持っているのか聞いてみました。
彼女は「多くのフィリピン人は日本が好きだし、日本人が好きだし、
日本の製品が好きだ」と話してくれました。
「確かに戦争を直接経験した世代の人の中には、
あまりよく思っていない人もいるが、これからの世代は違う。
過去は過去であって、生きていくには未来を見なければならない」と。
フィリピン人は本当に平和を望む人たちであると感じました。
また彼女は、「近頃は多くのフィリピンの若者が日本に興味を持ち、
また日本人も観光や英語学習にフィリピンに来てくれている。
この関係が続けばこれから日本とフィリピンは
もっともっと仲良くなっていくに違いない」と笑顔で語ってくれました。
確かに私自身自、以前知り合ったフィリピン人の友人に、
「俺は日本の野球やサッカーが大好きで○○選手は今ドイツのリーグにいるんだよね?〇〇選手は〜」
「〇〇の漫画に出てくる〇〇は〇〇と〜」など、
私でも知らない日本の話を延々と聞かされたことがあるほどです。(笑)
フィリピンではタクシーに乗っても、マートへ出かけても、みんなフレンドリーです。
もちろん中には悪い考えを持って、日本人に近づいてくるフィリピン人も
少なくないので注意は必要ですが、みんながみんなそんな人間ではありません。
これに関してはどれだけ話で聞いても文字で見ても、直接現地に来て体験して見なければ
理解できないだろうと思います。
フィリピン 英語留学
このサイト、またこのコラムを読んでいただいている方は
これから英語に挑戦したいとお考えの方、またはもう既に英語学習中の方だと思います。
英語を勉強する目的は何でしょうか。
もちろん「就活でスコアが必要だから」、
「仕事で必要で嫌々…」という方もいらっしゃると思いますが、
多くの方は「グローバルな人間になりたい」、
「海外の友人を作りたい」、「新しい世界の扉を開きたい」
こんな方々なのではないでしょうか。
であればフィリピンという環境は非常にオススメです。
たまに「欧米はいいけどアジアは嫌い」という方がいらっしゃいます。
もちろん何か理由や事情があって、好みに合わないというのは分かります。
しかし行ったこともない、見たこともない国をイメージだけで批判するのは、
グローバルな人間になろうとしている人の言葉として、少し残念に聞こえないでしょうか。
そこに自分の価値観を変える何かが待っているかもしれないのに、
自らその機会を放棄してしまうのはもったいなくはないでしょうか。
ぜひ一度、この国を見に来てもらいたい。
私はこれまでアメリカ、オーストラリア、その他アジアの国に滞在経験がありますが、
その中でもフィリピンという国はなかなか刺激的で面白いです。
英語学習はもちろんの事、国際感覚というものも同時に習得できる場所だと考えています。
単に英語を学習するだけでなく、特別な経験も得たいのであれば、
フィリピン英語留学というものは考えてみる価値があるでしょう。
以上、第1回フィリピンの歴史についてでした。
ちょうど今天皇陛下がいらっしゃっていることもあって、
フィリピンと太平洋戦争の関係性について
疑問に思っていた方も多かったんじゃないかと思います。
そんな方々に少しでもこの記事が助けになることを願っております。
それでは次回、第2回の記事でお目にかかりましょう!